私を生かすRipple

アクセスカウンタ

zoom RSS ピアソラ ← 言葉から辿ってみます

<<   作成日時 : 2005/11/27 20:15   >>

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 7 / コメント 12


タンゴ界の革命児と呼ばれたアストル・ピアソラは、こう語っています。
私の音楽は私とは違う。憂鬱で哀しく激しく、厳粛でさえあるが、本当の私は明るい性格で、人生を愛し、スポーツが好きで美味しい料理が好き。私は、アンチタンゴで夜が嫌い。昼間が好きで、朝や海や自然や花や森が大好き。私がタンゴに抱くイメージは、キャバレー、警察、泥棒、売春、ジゴロ、麻薬…人生の、ねじれたもの全ての同義語。タンゴがブエノスアイレスの売春宿で生まれ、ずっと売春宿のものであることを忘れてはいけません。底辺の世界の最下層の人たちの体臭を持ち、いつまでもずっとそういうもの。」

この言葉は、私達がピアソラの音楽に惹かれる理由を考える上で、大きなヒントになるのではないでしょうか?


'97年、ピアソラ没後5年目の年、クラシック界を中心に大ピアソラブームとなり、NHKでも特番が組まれました。私がピアソラという存在を知ったのも同じ頃で、2本の番組を見れたことは、私にとって好機となりました。
「ピアソラ大好き!」と言いつつも、気が付くと、彼の演奏が収まったCDはわずか2枚という有様。今回、人気が高く入手可能なCDを少し買い足しましたが、それを鑑賞する前に、あらためて、あの特番のインタビュー等から、ピアソラという人を自分なりに(少し)見つめてみたいと思います。

【参考にした特番】
@「ピアソラのすべて」…ピアソラの音楽に関わった人達の演奏や
          インタビューを中心に構成。
          ギターデュオ、アサド兄弟の演奏は二本分の厚みもあり、
          いいですねぇ。
A「アストル・ピアソラ’84−’86」
         …'84年〜'86年の演奏と'86年のピアソラの独白によって構成。
          '85年のケルン放送交響楽団との演奏は(特に「アディオス・
          ノニーノ」)見事!


@では、色々な人達がピアソラについてコメントしています。
【ヨーヨー・マ】は、「以前はピアソラにさほど興味はなかった。」「(触れたら)とりつかれてしまった。」と首を傾げ、ピアソラが演奏に感動を受け楽曲提供した、【アサド兄弟】は、「天才」と称える。【ギドン・クレメル】は、「ピアソラの音楽は現代社会を映し出し、閉ざされていない。(故に)心の交流を可能にする。」「今世紀、最も偉大な作曲家。」と絶賛する。
まだ、血の気の多そうな【小松亮太】は、「究極のフュージョン」「ピアソラの音楽を演奏するようになって、例え怖くても立ち向かうようになった」と答えている。

どの言葉もピアソラの音楽、ひいては彼の人生の一面を焙り出すものだと思います。ヨーヨー・マやクレメルの言葉には、冒頭のピアソラ自身の言葉を重ね合わせる時、今の世の中に対して、多少なりとも危機感を感じずにはいられない。また、小松亮太の言葉には、いつの世にもヒーローとは、「前進」し、それを続ける為の「意志の強さ」は、後の人間に多大な影響を与えることを物語ります。

そして、何故これ程までにピアソラが私達の魂を揺さぶるのか?に思いを馳せる時、彼の経歴や、Aでピアソラ自身が語る言葉が重みを持って来るのです。


*-* 略歴 *-* 〜Aの内容やピアソラ関連サイトの情報から〜

◇1921年3月11日にブエノスアイレス州マル・デル・プラタ生まれ
◇3歳の時、家族でニューヨークに移住。移民に対する差別もあり、荒れた生活も経験。15歳の時、帰国
◇18歳の時、アルトゥール・ルビンシュタインのコンサートに感動し、彼にピアノコンチェルトを書き送るつもりで訪問した際、音楽が好きなら勉強するようにと、アルベルト・ヒナステラを紹介してもらう。すでに楽団でバンドネオンを演奏していた彼だったが、アルベルト・ヒナステラに師事し、音楽理論を学び、クラシックのシンフォニーなど作曲するうちに5年間、タンゴ、バンドネオンから離れてしまう。
彼をタンゴに引き戻したのは、ピアソラ自身が「第二の母」と言う、パリのナディア・ブーランジェ。彼の持ち込んだ楽曲に対し「どの曲にもピアソラがいない」と指摘。当初タンゴの経歴を隠していた彼がバンドネオンで弾いた楽曲に「これこそピアソラ」と言う。
以後、40年あまりに渡り、アルゼンチンにとって宗教にも近いタンゴに対する革命の戦いが始まる。

1955年 フランスから帰国後、ブエノスアイレス八重奏団
 (オクテート・ブエノスアイレス)結成。
 「タンゴの破壊者」と罵られ、命を狙われたこともあった。
1958年 ニューヨークに渡る。
1959年 父の死に捧げた代表作「アディオス・ノニーノ」作曲。
1960年 五重奏団(キンテート)結成。
 バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキ・ギター、コントラバス
 から成る。この頃から、活動の基盤が安定する。
 その後、様々な編成を試みるが、ほとんどは五重奏団をベースとしたもの。
1963年 新八重奏団 結成。
1971年 九重奏団(コンフント)結成。
1973年 心臓発作による休養。
1974年 イタリア移住。
1978年 後期五重奏団 結成。
1988年 心臓バイパス手術
1989年 六重奏団(セステート)結成。
1990年 パリの自宅にて脳溢血で倒れる
◇1992年 7月4日ブエノスアイレスで亡くなる

* - * - *


Aの中でピアソラが発した言葉(●)から興味深く響いて来たもの。

●「ほとんど40年も全てを敵にまわす孤独な戦いが始まった。 前進したので私のタンゴは生き続けている」

と言うことは、ピアソラ作品をカバーをしていても、タンゴ自体は前進しないという事になるのでしょうね。

●「奇抜な事をやるのが現代的なのではない。どんな時でも失っていけないのはルーツでありブエノスアイレス独特の香り。バンドネオンがそれをいつでも、かもし出してくれる。」

物心付いた頃から多感な少年時代を移民としてN.Yで過ごした彼。良い面でも悪い面でもアメリカの影響を受けながら、逆行するように、アルゼンチンの血を強く意識して来たのかもしれません。その拠り所となったのが、いつも傍に置いたバンドネオンであったのでしょう。ただ、やはり、異国からの視点自国の誇りが強かったからこそ、タンゴという音楽を変わらぬままローカルな位置付けにしておくことを、よしとしなかったのではないでしょうか?

●「ドイツ生まれのバンドネオンがブエノスアイレスに入ったのは、イギリスかアイルランドの船乗りがウィスキー代の質草として入れたのが最初。」

なんと、いわく付きな…(苦笑)

●「タンゴはギターとフルートがルーツ。」

笛モノと弦楽器というのは、様々な音楽のベースですね。やはり、コンパクトに持ち運びも可能なところがポイントでしょうか。

●「作曲するのは好き。好きでなくなった時は死ぬとき」

きっと、亡くなる瞬間でさえ、作曲は好きだったのだと推測します。残念ですね。


Aの特番を見て、あらためて思ったのは、ピアソラは(クレメルの言う通り)偉大な作曲家であったのだろうということです。彼は自分の作品を自らの存在感と共に具現化することで、より印象深く、この世に留めることに成功したのだけれど…それは、例え困難な時期を伴っていたとしても、とても有意義なことであったでしょう。

「タンゴにはピアソラの前と後がある」と、ピアソラ自身が得意そうに語っていますが、今の時点では、私には、ピアソラのタンゴというのは、タンゴの歴史の中で、やはり、本流を継ぐものではない気がします。小松氏が言ったように、タンゴをベースにした多国籍の「究極のフュージョン」と言うのがピッタリします。
しかも、冒頭の言葉にあるように、彼は無意識のうちに「闇」に棲むタンゴを「光」のもとへ引っ張り出そうとしたのではないでしょうか?そして、シンフォニーの前にタンゴを作曲していたことを知られるのを恥ずかしく思っていたピアソラが、オーケストラとの競演を望まれて果たしたことは、確実にタンゴの世界を開き、これからの未来にこそ、タンゴは真に進化を見せる気がします



◇詳しい事はこの辺で→ピアソラ研究家・作家、斎藤充正公式サイト
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
驚いた

トラックバック(7件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
小松亮太 【ブエノス・アイレスの夏】
現代タンゴの巨匠、アストル・ピアソラ。彼の事を知らずとも、ヨー・ヨー・マがCMで弾いた「リベルタンゴ」は耳に残っているに違いない。タンゴという枠を超えた彼の楽曲は様々な音楽家によって、カバーされてきた。けれど、やはり、真にピアソラの魅力を伝えることは「バンドネオン」という楽器にしか出来ないだろう。その、バンドネオンを広めるべく精力的な活動をして来た日本人こそ小松亮太であり、この'98年のデビューアルバムは、彼と、かつてピアソラと活動を共にした音楽家達によって演奏された素敵なアルバムなのだ... ...続きを見る
私を生かすRipple
2005/11/27 20:25
Astor Piazzolla - Tango Zero Hour
Astor Piazzollaの1986年のアルバム。 当時所属していたキップ・ハンラハン主催のインディーレーベルであるアメリカン・クラ−ベに残した3枚のアルバムの最初の1枚で、ピアソラ自身も絶賛している晩年の名盤である。タイトルの"Zero Hour"とは24時間に続く「絶対的な終わりである ...続きを見る
NOTRE MUSIQUE
2005/11/29 02:52
ASTOR PIAZZOLLA 【PIAZZOLLA EN EL REGINA】
1970.5.19 地元ブエノスアイレスのレジーナ劇場で行われた、アストル・ピアソラ五重奏団のライヴ録音盤。「ブエノスアイレスの四季」全曲および、同「零時」が一枚に収録されている嬉しい一枚!今まで80年代の演奏しか聴いたことがない私からすると、クラシック色が強いなぁというのが第一印象。ピアソラの個性が濃厚になる80年代もいいが、70年代の演奏をもっと聴いてみたいと思わせる。 ...続きを見る
私を生かすRipple
2005/12/04 22:23
アストル・ピアソラ (Astor Piazzolla)
アストル・ピアソラ (Astor Piazzolla)タンゴ バンドネオン奏者/作編曲家アストル・ピアソラ(1921~1992)はアルゼンチンのマル・デル・プラタ 生まれ。4才の時に米ニューヨークに移住しジャズを中心とした米国 音楽文化に影響された少年時代を過ごす。15才時にアルゼンチン.. ...続きを見る
楽しい音楽を聴く♪
2006/01/22 13:37
Astor Piazzolla 【TANGO: ZERO HOUR】
"an hour of absolute end and absolute beginning"=「絶対的な終わりであると同時に絶対的な始まりである時間」とピアソラがイメージする時、「ゼロ・アワー」と命名され、「私がこれまでの生涯で作り得た最高のレコード」「このレコードに魂を捧げた」とピアソラに言わしめたアルバム。 実際‥その言葉に誇張はなく、私も同意したいと思います。 ...続きを見る
私を生かすRipple
2006/02/04 16:37
Tango: Zero Hour / Astor Piazzolla | ピアソラ
まだNYにいた頃、出会ったこのアルバム。ちょっと衝撃だった。 そして、今でも自分の desert island disk... ...続きを見る
blog de rebrain
2006/03/15 00:19
?????〓????????????#3
p&〓&Τ??&&& ...続きを見る
????褫??Х????????
2007/03/29 12:14

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
遊びにきました\(^o^)/
ピアソラがアンチタンゴだったなんて・・。
彼が昼向きの男性だった・・・。
新たな発見ばかりで、たいへん興味深く読ませていただいて、ありがとうございました_(_^_)_

ピアソラの素顔を知り、もっとバンドネオンが好きになっちゃった!

URL
2005/11/27 22:59
訪問していただきまして
リンクまでしていただいちゃいまして
アリガトウございます!

ピアソラ音楽の持ってる”熱”が好きです。

丹念に調べあげられた記事で
僕、トテモ勉強になりました。

これからもヨロシクお願いします!
テル民
URL
2005/11/27 23:16
こんにちは。ご訪問ありがとうございました。
ピアソラの記事、とてもよくまとめていらして、興味深く拝見しました。

私も97年にハマりました。当時、海外からむさぼるようにしてCDや楽譜を買い集めたのを思い出します。

色々なアーティストがピアソラのCDを出していますが、やっぱりピアソラ本人の演奏のものが一番いいですよね。
Kalin
URL
2005/11/28 09:32
TB&コメントありがとうございました。
タンゴはあまり詳しくないのですが、ピエソラのアルバムで完全にはまってしまいました!
熟読させていただきます。
fukui0806
URL
2005/11/29 02:54
ピアソラについて知りたいと思っていたので、お陰様でとても参考になりました\(^o^)/
ピアソラのCDチェックしたいと思います。
rj588j
URL
2005/11/29 13:56
苺さん、テル民さん、Kalinさん、fukui0806さん、rj588jさん。みなさま、コメントありがとうございます。

これだけの大御所ともなると、きっとコアなファンの方々がいらっしゃるはずなので、簡単に音楽的なレビューは書けないなぁと、ずっと想いを巡らせてきたのですが、この記事で取り上げたピアソラ本人のインタビュー内容は、とても興味深く記憶に留まっていたし、それに対しての感想なら(まぁ)自由に表しても許してもらえるかなぁと、少し気合を入れて(苦笑)書いてみました。
インタビュー内容と、リンク張らせてもらってる年表が(アルベルト・ヒナステラの指導を受ける時期など)少し合わない感じなのですが、ピアソラの言葉の方を優先してます。

こんな長い記事を、みなさんが、よく読んで下さったみたいで、本当に嬉しくて…心から感謝してます。できれば、これを足掛かりに、アルバムレビューも書いてみたいと思ってます(笑)
これからも、どうぞ、よろしくお願いします。
 
Cacao
2005/11/29 19:49
こんばんは。
ピアソラのいくつかの曲を聴いて、何かクルものを感じてはいたものの、その背景をほとんど知りませんでした。ピアソラとルービンシュタインの接点に、意外性を感じたのですが、“「闇」に棲むタンゴを「光」のもとへ引っ張り出そうとしたのでは”というcacaoさんの考察と照らし合わせると、妙に納得してしまいました。
ルービンシュタインは、私のイメージでは、「光の」ピアニストです。しかし、若い頃は軽薄・享楽・自殺未遂・・・といった「闇」もあったそうで。(この闇の部分はcacaoさんのレビューを読んで、興味深く思ったので付け焼刃的に調べました。)
闇が光を求め。光が闇を照らし。闇に裏打ちされ強まる光。闇に魅入られる光。新たに生まれた光が別の闇を引き寄せ照らし・・・光と闇が交互に現れるような、人の出会いとつながりの不思議に、ちょっと感動してしまいました。本腰を入れてピアソラが聴きたくなりました。
最後になってしまいましたが、レビューを読ませていただくきっかけを与えてくださり、ありがとうございました。長々と失礼しました〜。
ruthk
URL
2005/12/10 01:45
ruthkさん、深いコメントありがとうございます。(でも、私の考察などに納得なさらぬよう…笑)
「光」と「闇」は互いを必要としますものね。ピアソラにも「天使」と「悪魔」の両シリーズがあるらしいし…
ピアソラをじっくりと聴くには相応しい日本の冬ですね。
 
Cacao
2005/12/11 18:00
☆釈迦に説法のような=私のブログにコメントを戴き=有り難うございます。
☆コメント=大変嬉しかったです。
 コメントへの=ご返事は=ブログに書かせて頂きましたので
 また、お時間あればおより下さい。
 先ずは=お礼まで。
          馬勘
馬勘
URL
2006/02/08 00:04
馬勘さん、コメントありがとうございます。
(後でそちらへ行きますね)

いえいえ、こちらこそ。
「第二の母」、ナディア・ブーランジェ先生が、キース・ジャレット、ミシェル・ルグラン、クインシー・ジョーンズのような方々の先生でもあった…というのは、本当にすごい事実を教えていただき、感謝です〜
 
Cacao
2006/02/08 23:01
cacaoさん、小生もピアソラフアンです。この貴君のピアソラ物語詳しく書かれています。残念なことは初期の時代のレコード紹介がないことです。68年ごろピアソラが好きだと口に出したら気違い扱いされました。本当です、、、良い時代になつたものです。今の小生はガルデルですけどね、、、
El Bohemio
URL
2010/04/30 06:22
コメントいただいていたのに、お返しする言葉が見つからなくて黙ってしまいました。すみません。今の日本は、ピアソラから火がついて小松亮太さんらの演奏が脚光を浴び、それに引き付けられた三浦一馬くんなどが、今、ピアソラやタンゴからも離れて、バンドネオンの魅力を全面に出して支持されているように思います。
ピアソラが「闇」と表した世界が、今まさに若い力と共に違う視点から「光」を浴びているような、そんな気がしています。
(ちょっと日本語として怪しいかも‥苦笑)
 
Cacao
2010/09/26 00:39

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
ピアソラ ← 言葉から辿ってみます 私を生かすRipple/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる